103系掲示板(2002.-6)


八高・川越線に乗ってきました

昨日、日帰りですが大阪から上京していました。時間があったので有楽町〜(山手線)〜東京〜(中央快速線)〜八王子〜(八高線)〜高麗川〜(川越線)〜川越〜(川越線)〜大宮〜(東北線)〜上野〜(京浜東北線)〜秋葉原と大回り乗車してきました。

乗車した車両は
山手線:サハ204−   1
中央線:クハ200−  60
八高線〜
川越線:クハ103−3001
川越線:クハ204− 107
東北線:クハ115− 420
京浜
東北線:モハ209−  96   です。

新宿以西の中央東線、八高線、川越線は初めての乗車です。なぜこのルートにしたかというと、3000番台に乗りたかったからです。中央快速で八王子に着いたらちょうど一番北側のホームに停まっているのが見えました。以前こちらでご教示いただいていますが、3000番台には72系として登場したときのプレートがついていますね。転落防止装置のすき間から何とか見えたのですが、クハ103−3001には「昭和32年 近畿車両」のプレートがありました。車籍は引き継いでいないはずですし、当時から使われているパーツは台枠だけらしいですが、45年の重みを感じます。同じ年に101系が誕生しているので、72系の中でも終わり方のグループで、原形は101系に近い形状をしていたわけですよね。3000番台の仲間には更に5年ほど先輩の昭和27年の車両もいるそうですが、こちらは半世紀です。
参照:http://isweb26.infoseek.co.jp/photo/itreni/jnrkeishikipage/ec/ec103/jnr1033000frame.htm

乗ってみて特徴的だと思った箇所は、ドアの上の斜めにせり出した部分です。他ではこのような形状をした車両はなかったような・・・。乗り心地は自分が鈍感なのかも知れませんが、大阪環状線や奈良線の103系に比べれば激しい縦揺れや横揺れもなくまあまあだった気がします。東西でメンテナンスの方法が違うのか軌道状態にもよるのか、大宮から乗った115系(=来月で廃車or他所へ転用)もそれほど酷い振動はありませんでした。クモハ102−3001の妻面にもプレートがあるようでしたが、奥の方なので何が書いてあるのかは確認できませんでした。

205系に乗り換えて大宮に近づくとネットや写真では何回も見たことがある解体場の横にさしかかりました。エメラルドやオレンジ、黄色のクズ鉄が山積みになっていましたが、最近解体された103系でしょう。また解体待ちで部品がはぎ取られたエメラルドの車両と重機がその背後に見えました。

大宮の南側の新幹線の高架の向こう側にもエメラルドやオレンジの103系が多数みられましたが、それらも近日中に全部解体なのでしょうか。青も1両だけ見えました。尾久でもエメラルドの車両がいました。それと14系の座席車も東日本では全部運用離脱したということらしいので、彼らもやはり処分されてしまうのでしょうか。色も煤けボロボロになった寝台車も手前の方に見えました。

急速に数を減らしつつある東日本の103系並びに国鉄形各車ですが、八高・川越線では3000番台が全部現役でなんかほっとしました。3000番台の残りの3編成とはすれ違ったと思いますし、残りの1本と思われる編成も川越の近くの車庫に205系とともに留置されているのが見えました。これらも余命僅かですが趣味的には1日でも長く活躍してもらいたいと思います。

投稿日 6月30日(日)15時49分 投稿者 Y.K. [n073098.ppp.dion.ne.jp] 削除


DDM車、他

前納さんの言うとおり本日出場したそうです。ただDDMは不動だったみたいです。
あと、おおとりさんの言っていた方向幕ですが、撮影時この車両だけ本体ごと付いていませんでした。LEDでもつけてくれるのかな?とも期待したのですが、やっぱり普通になってしまったんですね。
よく雑誌などで目にする名前の方々と話(?)が出来てとてもうれしいです。
あと一つお願いなのですが、マト車の入場スジを教えていただきたいのです。
私は常磐線の103系が一番好きなのですが、ここもE231の投入が始まり検査入場を撮れる機会も今回が最後かもしれないのでよろしくお願いします。
(ただ8日、午後で無いと行けないんですが・・・)

投稿日 6月29日(土)00時07分 投稿者 Y・松戸 [tbtnni-09p410.ppp12.odn.ad.jp] 削除


モハl03-502

みなさん、こんにちは。

今朝、大宮に見に行ったのですが、普通に「試運転」という字幕が出ていました。(4位側)
いつも出場車が居る線に止まっていましたので、今日、出場したと思います。

792-2049は大宮工場の解体場の本線寄りの線、793-2050は大宮運転区にいます。

投稿日 6月28日(金)13時27分 投稿者 前納浩一 [ppp0336.vc-tyo.hdd.co.jp] 削除


追加です

武蔵野線の103系の特徴的なものにもう一つありました。
それはDAU712形クーラーを搭載している車両が編成あたり1〜3両あることです。

投稿日 6月28日(金)07時24分 投稿者 横浜線@蒲田電車区 [p3213-ipad01morioka.iwate.ocn.ne.jp] 削除


ちょっと訂正?

>Y・松戸さん

なかなか刺激的な写真ですねー。
方向幕が真っ黒なのが気になります・・・。

写真を見る限り、以前に私が書いた「台車も含めて231状態」というのは
どうやら間違いだった様ですね。失礼しました・・・。

投稿日 6月28日(金)00時24分 投稿者 おおとり [fart01-216.cityfujisawa.ne.jp] 削除


JR東京外環線

鉄道ピクトリアル8月号を購入された方も多数いらっしゃると思いますが,今回の特集はJR東京外環線こと武蔵野線・京葉線です。その中から武蔵野線の車両関係についてピックアップしてみましょう。

武蔵野線は103系を中心に205系が5編成(プラスVVVF車2編成butまだ営業運転には入っていない)あります。103系の33編成264両は,常磐快速の285両には叶わないものの,編成数では首都圏でトップです。@E1・E2編成は両端が低窓のクハ103で,いずれもモハ1ユニットが特保のほかは車両更新車。A西船方がクモハ103のは8編成あり,すべて車両更新車。B高運転台で乗務員室直後に戸袋窓があるのが4編成(?)Cモハ102-2000番台が入った編成は3編成それも3ユニットとも。このうちのE26編成はモハが全車塗り屋根車。
以上が個人的に注目した車両(編成)です。なお武蔵野線は2005年度までには205系に統一されるとのことです。この年は同系転用改造プロジェクトの最終年度で,そうするとこの路線がJR東日本管内で最後まで103系が生き残るかもしれませんね。新秋津〜西国分寺間の長大トンネル壁に反射する高らかなモーター音もあと数年ということに…。

投稿日 6月27日(木)23時00分 投稿者 横浜線@蒲田電車区 [p8145-ipad01morioka.iwate.ocn.ne.jp] 削除


DDM車の写真

はじめまして、Y・松戸と申します。
このスレで一時話題の出たモハ103−502、DDM車のページを作りましたので下にリンクをはらせていただきます。

http://members.jcom.home.ne.jp/1213578401/THR/syasin3.htm

投稿日 6月27日(木)22時17分 投稿者 Y・松戸 [tbtnni-05p231.ppp12.odn.ad.jp] 削除


ちょっとお伺いしたい事が

掲示板の皆さん、管理人さん、はじめまして。
数年前まで首都圏の103を中心に撮影していた者です。

先日古い知人から、28日の大宮工から京葉区までの103の
出場回送を代理で撮影してきて欲しいと頼まれたのですが、
資料を整理してしまった為、時刻がわからないのです。もし、
ご存知の方で提供して頂ける方、また、出場スジに関するページ、
質問のできるBBS等ご存知でしたら、教えて頂けないでしょうか。

大宮(工場)〜試9085M〜東大宮操〜試9084M〜大宮操
〜試9091M〜西船橋〜試9093M〜新習志野
(列番のアップがNGであれば削除してください。)

依頼してきた知人とも連絡取れず、今回の回送を逃すと、
2日からの試運転まで撮影できないとプレッシャーを
かけられてしまい・・・ご教授頂ければ幸いです。
どうぞ、宜しくお願い致します。

投稿日 6月27日(木)01時44分 投稿者 元鉄 [cse85-30.tokyo.mbn.or.jp] 削除


TR212換装車

WDT33さん、みなさん、こんばんは。

ご指摘の件ですが、JR東日本では仙石線のTR201車がディスクブレーキ付きに変更されています。
RM201号「103系ファイナルガイド」の本文中で「一部の車両で首都圏で廃車となった車両のTR212と履き替えている」との表現がありますが、永尾がチェックした限りクハ・サハ共に全車ディスクブレーキ付きに換装されています。

ただ、TR212かどうかについての確認ができなかったのでディスクブレーキ付きという表現を行っていましたが、先のRMの記事や、前納さんからの郡山工場への廃車回送などの情報、103系のディスクブレーキ付き台車がTR212である事などから、まず間違いないかと思っております。

今月のピクトリアルにあった2両というのは0番台との注釈があります。
0番台での非ディスクブレーキ車は1番〜114番の114両しかありませんから、初期車が関西に転じた段階でもともと首都圏には0番台の非ディスクブレーキ付き車は少なかったとも言えます。
ただ、500番台は常磐線に入るまでの501番〜616番までが非ディスクブレーキですので、こちらは鶴見線などいろんなところでまだ見ることができます。

101系改造のサハ103の一部はDT21TからTR212に改造されたとどこかに書いていたように思います。

TR62との違いですが、正直なところ比較したことがないのでよくわかりませんですm(__)m

では。

投稿日 6月26日(水)22時11分 投稿者 永尾信幸 [i062232.ap.plala.or.jp] 削除


ローマ字の無い側面方向幕の写真を公開

みなさんこんばんは。

私の所のHPにある掲示板で話題になった表記の写真を公開しました。
写真のページの中のクハ103−283の所です。

この時はこの車両の3位側方向幕のみ前面用が入っていた関係で、上野駅でずっと待っていたのですが12番線に入るのが多く、11番線に来てもホーム入線中にクルクル回して所定位置に着いたときには「取手」と出ていて、その下にローマ字があるのかないのかのチェックがなかなかできませんでしたが、5往復くらい粘った時にようやくホームから幕を回している所を確認できました。
予想通り行き先の下にはForの無いローマ字が出てきました。

このような車両は関西でもよく走っておりました。

では。

http://club103.banbi.net/

投稿日 6月26日(水)22時04分 投稿者 永尾信幸 [i062232.ap.plala.or.jp] 削除


クモハ103−73続報

7−12さんの情報通り、23日の時点でナハネフ22の横に73番が1両留置してあります。
他の9両は順次解体に回されてます。Tc555、M’182、T113、M’418、Tc356までが解体線に載ってます。
73番はひょっとしたら残すのでしょうか?!

投稿日 6月25日(火)23時37分 投稿者 さよなら103系 [yahoobb218141002039.bbtec.net] 削除


環状線置換計画始動?

注目すべき車両が多い環状線ですが、先日明石支所の201系を4M4Tにして試運転が行なわれましたから、今後の207系の投入により環状線の103系もいよいよか?という感じです。オレンジの103系が関西から消えるのも遠い話ではなさそうですね。
関係ないことですが、205系も環状線へ転用するのでしたら、是非東日本で廃車予定のT車から4両を移籍して欲しいと思います。それも65〜68号車なら番号もスッキリ・・・なんてこと、あるわけないですよね。
以下、ご存知の方にご教示を賜りたいと思います。P誌8月号によると東日本でTR201付Tcは2両だけとのことですが、T車はすでに全滅しているのでしょうか?それとTR212はどう見てもTR62と区別がつかないのですが、見分けるポイントはどこでしょうか?第一なぜ形式が違うのか、全くわかりません。そして、TR201とTR212を振り替えた車両は存在したのでしょうか?どなたかご回答をお願いします。
ところで台車形式の70台は3軸ボギーのはずですが、205系5000台の台車はDT70だそうで。動台車はこの原則から外れるのでしょうか?最近は何につけても例外が多くて・・・。

投稿日 6月25日(火)23時13分 投稿者 WDT33 [tbtnni-10p219.ppp12.odn.ad.jp] 削除


クハ103ー17戸袋残して出場

みなさんこんばんは

日根野区のK602編成(クハ103ー17以下6連)が戸袋・妻窓を残したまま出場しました。前面は金枠付きです。同区の6連で前面がHゴムの編成は残り5本となりました。

投稿日 6月25日(火)22時57分 投稿者 けのゆきお [nttoska06155.ppp.infoweb.ne.jp] 削除


出場など

大宮工場出場
6月28日 ケヨ車(DDM改造車込み編成)
7月 5日 トタ車8連(両端Tc編成)
  24日 トタ車8連(両端Tc編成)

大井工場出場
7月 3日 ケヨ車10連
  26日 マト車10連(入場は8日の模様)
(おまけ)
  30日 ケヨ205系(大井出場なので転用車でしょうか?

時刻など分かる方いましたらよろしくです。
運休、変更の際はご了承ください。

投稿日 6月25日(火)12時03分 投稿者 歯医者 [pee7f59.tokynt01.ap.so-net.ne.jp] 削除


Re:網干区の103系

こんばんは
永尾様、詳しい情報ありがとうございます
写真を拝見させていただきましたが、準備工事といっても
まだランボードとパンタ台が付いただけなんですね

先日103系3000番台に乗ったのですが、乗務員室のカンテラ置き台に
クハ7960?と、種車の形式が書いてあるのを発見しました
これにはビックリしました
205系投入決定で余命いくばくもない3000番台ですが、最後まで力走
を続けて欲しいものです

投稿日 6月25日(火)01時05分 投稿者 宮ハエ [p5135-ipad01yosida.nagano.ocn.ne.jp] 削除


クモハ103-73

今でも鎌倉に留置されてると思いますよ。

投稿日 6月24日(月)20時52分 投稿者 7-12 [yahoobb218136234101.bbtec.net] 削除


鉄道雑誌から

くすのき台さんからもご指摘ですが、今日、立ち読みで済ませてしまいましたが、ファン・ピクトリアル・ジャーナルの3誌を見てきました。ファンでは毎年恒例ですがこの1年間(平成13年度)のJRの車両の動きを詳しく扱っていました。ご多分に漏れず、東日本所属の103・115系などは大量廃車されており、115系に関しては200両近く廃車されたようです。103はちょっと覚えていないのですが・・。

廃車の欄(今年4月1日現在)を見ると103系のクモハは74と101のみが登場していましたが、73は今年度(4月1日以降)になってから除籍されたのか、載っていませんでした。それと京葉線ではクモハを先頭とする編成は消滅しましたが、予備編成か何かで1本所属しているのですか?

他の2誌でも103系が大々的に扱われていましたが、現在のところ東日本には930両余り、西日本では770両余りの103系が在籍しているということで、まだ東日本の方が多いようです。民営化時、東日本には2400両余り、西日本には890両余りの103系が継承されましたので、15年前のJR発足時と比べると東では当時の38%程度しか残っておらず(=62%は廃車された)、一方で西では86%も残っています。武蔵野線所属の103系の方が森之宮電車区の車両よりも多いのは意外に思いましたが、単に距離や輸送力の違いで多くなってしまうのでしょう。東日本は発足時101系も200両ほど保有していたので、通勤電車だけでも取り換えの早さはすごいです。

JR西日本でもわずかながら廃車が出ていましたが、東日本との保有車両数の比を考慮しても微々たるものです。113系の廃車も同様です。関西地区もそうですが、中国・北陸地方では車両の高齢化が問題になるのではと思います。個人的には安全で快適ならば使用年数は関係ないと思いますが、今日見た雑誌に出ていた中国地方の103系や115系は色彩がイマイチなせいもあるからか疲れ切っているように見えました。

量産車は昭和39年からですのであと2年ですね。確実に40年の車両は現れるでしょう(N40工事をしているし・・)。同じ30年代後半の車両でも阪急の2300・3000系、京阪の1900・2200系などが内装も外装も美しくされ、何回も更新工事を受け、現在も余裕で優等運用に就いていますが、それと比べると同時期の103系は疲労が大きいように思えます。南武支線の101系ももうすぐ終焉ですね。

投稿日 6月23日(日)19時34分 投稿者 Y.K. [m120155.ppp.dion.ne.jp] 削除


今後の103ですが・・・

 山手線へのE231の投入で、JR東各線の103系が置き換えられるわけですが・・・

 国電総研によりますと、
 14年度の10本の行き先は、6ドア車を除くと、南武線と、仙石線のようで、武蔵野線は、すでにVVVF化されている2本の関係以外は安泰のようですね。
 また、16年度のE231の投入による捻出により、17年度(2005年度)に、武蔵野用改造、京葉用改造、とありますので、JR東で103のお別れは、武蔵野線か、京葉線か、といった感じでしょうか。

 関西はどうなるんでしょう、車齢40年を超える103系が出てくるのかどうか、というのも興味があります。

 なお、ファンのJR車両ファイルで、(従って、更新は年に一回ですが)103系の車歴表を更新しました。

http://www2c.airnet.ne.jp/kokukoen/

投稿日 6月23日(日)12時50分 投稿者 くすのき台 [pl071.nas312.tokorozawa.nttpc.ne.jp] 削除


網干区の103系

宮ハエ さん、みなさん、こんばんは。

ご質問の件ですが、網干区のクモハ103−3503と3509番が運転台の上部、つまり車両前部にパンタ台が取り付けられています。
たぶん霜取り用のパンタグラフを設置するための準備工事かと思われます。

JR西日本の3500番台は半自動ドアとする予定もあるようで、ドアの開閉ボタンの準備工事も行われています。
写真は下記のページの写真集の中のクモハ103の中にあります。

では。

http://club103.banbi.net/

投稿日 6月22日(土)21時50分 投稿者 永尾信幸 [i062055.ap.plala.or.jp] 削除


霜取りパンタ

初投稿です。よろしくお願いします

播但線の103系3500番台には霜取りパンタの準備工事をした編成が
あるそうですが、どの編成かご存知の方いませんか?
写真などで解説していただけるとありがたいのですが・・・

どなたかご教示願います


投稿日 6月22日(土)01時51分 投稿者 宮ハエ [p3221-ipad01yosida.nagano.ocn.ne.jp] 削除


モハ102−2049

こんばんは。
話題の2049ユニット、本日はそのまま解体線(の中でも解体を実施しない側線)に留置されていました。あと、大宮の逆側には妻窓閉鎖のモハ102の2000番台らしきユニットがありましたが、これは武蔵野線の2045か2046ユニットでしょうか、検査入場?となりには妻窓ありのものがありましたので、これが2044ユニットだとするとちょうど武蔵野の編成になりますが、遠目で車号がはっきり確認できませんでした。

投稿日 6月21日(金)23時24分 投稿者 マト8 [fnafi-02p1-142.ppp11.odn.ad.jp] 削除


Re:M792ユニット

安田 秀一 様、皆様、こんばんは。

情報を有難う御坐居ます。
そうですか・・。遂に廃車されてしまいましたか。

自分は、この車輌の新製直後のことを良く覚えているだけに、淋しい限りです。
現在、武蔵野・川越線に残っている、103系最終ユニット計10両(赤羽線10連化用で新製)の1日でも長い延命を願います。

ところで、以前の“455系・475系冷準車”の補足です(103系でなくすみません)。

>M'454-37〜51, M'474-49〜53 は、AU72を、それぞれ搭載されました。

詳しく言うと、
@ M'454-37〜42, M'474-49〜51 は、AU12S対応冷準車で、クーラーのフサギ板は4個で、
A M'454-43〜51, M'474-52・53 は、AU72対応冷準車でした(フサギ板は当然1個)。

興味深い点は、@の冷改時には、AU72集中式クーラーが取り付けられたことです。

投稿日 6月20日(木)01時27分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb011.proxy.aol.com] 削除


Fw: M792ユニット

遂に解体線に搬入されてしまいました。完全に生還することは無くなって
しまいました・・・
順番的にM276M'431Tc'798の後、明後日位に命日となりそうです。

>Y.aさん
M793のユニットは未確認ですが、こんな状況です。

投稿日 6月19日(水)21時10分 投稿者 安田 秀一 [cbcnni-10s2p247.ppp12.odn.ad.jp] 削除


扇風機スイッチ

冷房について話題になっているようですが、私は非冷房の103系のことはあまり知らないので、大変興味深いです。

宮原に留置されているサハ103、見ました。少し色あせているように見えましたが。

ところで、先日乗車したクモハ105−527(103系改造車)には扇風機スイッチがあったのですが、そのスイッチが一般的に電灯のスイッチ使われているものが使われていました。
紅白のスイッチは何度も見たことがあったのですが、このタイプは初めてでした。

投稿日 6月18日(火)19時50分 投稿者 千鳥が淵の天然水 [yahoobb240000005.bbtec.net] 削除


京浜東北/東西線の103系非冷房車

こんにちは、たまに出てくる稲岡です。
今回の103系非冷房車(M'528〜539)の話、楽しく拝読させていただきました。

昔所用で京浜東北線に乗った時、件の車輌が来ました。中学生くらいの頃でしたのでもちろん詳細など知るはずもなかったのですが、普段乗っていた中央線の量産冷房車(M331〜)よりも番号が大きいのに、室内は無塗装ではなかったので(もしかしたら当時冷房改造されていたかもしれませんが・・・?)、相当戸惑った覚えがあります。
その後ここで幾度となく件の車輌の経歴をご教示いただき、疑問が解けて有り難かったです。

東西線用の1200番台の最終の2編成は、非冷房ながらも室内は無塗装の仕様で登場し、アルマイト仕上げの扇風機上グリルなど当時あの辺りではあまり見ることが出来ないタイプで(却って新製の105系などでは当たり前だったかも)感動していました。
その後、AU712?で冷房化されてから乗車したところ、車輌更新されたのは良いのですが(ということは、1205号の編成でしょうね)天井近くのメラミン表面がベージュのペンキで塗られていたのを見た時は、ちょっと残念でした。

ただの昔話で恐縮ですm(__)mが、カキコさせていただきました。それでは、この辺で。

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/2586/

投稿日 6月18日(火)06時24分 投稿者 稲岡 誠二@カリフォルニア [tintagel-ext.labs.agilent.com] 削除


続・冷房準備車といえば

>113系冷房準備車にはダクトがあって、また扇風機の無いタイプもあったのですか?
全然違います。天井は扇風機でダクトはなく,冷房が搭載されるべき部分以外は非冷房車と同じ構成になってたと思います。
@前者・営団8000系,A後者・113系1000'番台&115系1000番台の二通りと受け止めてください。
>横浜線@蒲田電車区さまの確認された上記仕様の113系冷準車は、いつ頃のことだったのでしょうか?
昭和47年にATCを搭載した総武地下ホーム開業対応で増備された1000番台は冷房車で落成するはずのところ,一部は房総地区の夏があまりにも暑くないせいか冷準仕様で落成したと思います。

投稿日 6月18日(火)00時46分 投稿者 横浜線@蒲田電車区 [p7040-ipad01morioka.iwate.ocn.ne.jp] 削除


Re:冷房準備車といえば

横浜線@蒲田電車区 さま、みなさま、こんばんは。

>113系1000'番台の初期と115系1000番台のうちおもに長野・新潟地区に投入されたのですね〜。前者は当初から冷房搭載を見越して室内は完全に冷房車を意識していました。ゆえにダクトも装備されていて,天井が扇風機ではなく(!)中央にラインデリアと2条の冷風吹出しスリットになっていたんです。

 113系冷房準備車にはダクトがあって、また扇風機の無いタイプもあったのですか?

 私が、昭和54年ごろの夏のことですが、 津田沼→東京に向かった際に、たまたま来た、全車冷準車の113系に乗りました。しかし、車内があまりにも暑かったので、扇風機の操作をした記憶があります(スイッチは、非冷房によく見受けられたもの。“ON”が赤色で,“OFF”が白色のボタン。)。

 横浜線@蒲田電車区さまの確認された上記仕様の113系冷準車は、いつ頃のことだったのでしょうか?
(それとも、ここで言う前者とは、営団半蔵門線8000系のなのでしょうか?)

ところで、103系最終ユニット、M-792,793 M'-2049,2050 はどうなったのでしょうか?
私は、大阪在中なので詳しい状況が判りません。
どなたかご存知の方、御提示お願いします。

投稿日 6月17日(月)21時35分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb043.proxy.aol.com] 削除


冷房準備車といえば

しばらくご無沙汰しておりました。
私は冷房準備車といえば(私鉄系で恐縮ですが)営団半蔵門線の8000系を一番に連想します。そしてここでは113系1000'番台の初期と115系1000番台のうちおもに長野・新潟地区に投入されたのですね〜。
前者は当初から冷房搭載を見越して室内は完全に冷房車を意識していました。ゆえにダクトも装備されていて,天井が扇風機ではなく(!)中央にラインデリアと2条の冷風吹出しスリットになっていたんです。(これは当時センセーショナルで現行の新車のルーツになっている)
一方後者ははっきり解りませんが,冷房ダクトはなく天井に扇風機があるふつうの非冷房車だったと思います。
よって冷房準備車でもダクトがあるか否かは興味が尽きないですね(笑)。

投稿日 6月16日(日)14時42分 投稿者 横浜線@蒲田電車区 [p4128-ipad01morioka.iwate.ocn.ne.jp] 削除


冷房準備車(完結編?)

みなさま、こんばんは。

>M'528〜539については、以前に「小学館か頚文社の子供向けの厚い本に写真があり、床下機器配置は通常の非冷房のモハ102と同じだった」という御報告があったと思います。

そうですか。これで、103系冷準車の線はかなり薄くなりましたね。
(それにしても、よくこの様な本の情報までご存知でしたね。さすがです。)

>鉄道ファン384号P25の写真では、当該車両の方向幕直下にあたる窓は二段上昇式になっている様です(撮影が夏場の為きっちり開いてます)。

了解しました。わざわざ、御丁寧に調査して下さり、有難う御坐居ます。

>それ以前に、例えば冷準車の定義という点も再度洗い直しする必要があるかもしれませんね。

私も同感です(冷準車の話に拘わらず)。
万が一、当時の国鉄では、冷準車として製造されたとしても、数十年後かに、「その可能性は少ないだろう。」と云う事で、その形式の歴史からその事実が抹消されてしまうのも、問題かなと思いますし・・(注:あくまでたとえ話です)。

いずれ、時間を見つけて交通博物館の図書館にでも足を運んで調査してみたいと思います。
何か新たな発見がありましたら、ご報告致します(冷準車関連に拘わらず)。


また、余談ですが、

>たぶん、475系(だったかな?)・・・

交直流急行の冷準車は、主に455系・475系です。457系は、全車、新製冷房車です。
ちなみに、冷準車は以下の車輌で、

Mc455-37〜42, Mc475-49〜51, Tc455-62〜64, Ts451-26 は、後にAU12Sを、
Mc455-43〜51, Mc475-52・53 は、AU13Eを、
M'454-37〜51, M'474-49〜53 は、AU72を、それぞれ搭載されました。

ちなみに、写真は、JRRの国鉄車輌シリーズ2「交直流急行型電車」の20ページに、下十条電車区に留置している、冷準Mc455-47,M'456-47 が載っています。

最後に、私が話題提供した“103系冷房準備車”でしたが、ここまで混乱を招いてしまい、皆様に多大なる御迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。

投稿日 6月15日(土)04時01分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb023.proxy.aol.com] 削除


モハ103-380の後位側客窓

鉄道ファン384号P25の写真では、
当該車両の方向幕直下にあたる窓は
二段上昇式になっている様です
(撮影が夏場の為きっちり開いてます)。

新製直後の為妻面のキャンバス押さえが
無塗装状態?で、まだ初々しいです・・・。

「誇張表現」の件ですが、もしかしたら国鉄の資料に
そういう表現があったのかも知れませんね。
通常の一次改良車とは、僅かながらも差異がある訳ですし、
検査時や冷房改造時に部品調達やら工程の面で
若干の違いがあったとしても不思議ではありません。
そういう意味で、「103系における冷房準備車」という
意識が担当者にあったと考えれば、一応スジは通ります(←本当か?)。

>DDM駆動
なんでも、台車も含めて足回りが231状態だとか(驚)。
う〜ん、ちょっとかっこいいかも。
でもねぇ、あの音のしない103なんて・・・。

投稿日 6月15日(土)00時53分 投稿者 おおとり [fart01-63.cityfujisawa.ne.jp] 削除


京葉区M502

京葉区M502はDDM駆動に改造されたそうですが、どのような変化が起こるのですか?

投稿日 6月14日(金)21時29分 投稿者 ACトレイン [e172130.ppp.dion.ne.jp] 削除


行先表示機の下の窓

みなさん、こんばんは。

行先表示機の下のユニット窓についてですが、車両更新時に窓が交換されています。
車両更新の際に用意した新しい窓を嵌めるので、非冷房の一次改良車の冷房改造車を更新した場合で、元と同じ形態の窓となっている例と、新製冷房車と同じ上段下降式の窓に交換されている例があります。(一時期調査はしていたのですが、何番がどの形態とまとめてはいません。)
また逆に、新製冷房車なのに上段が固定となっている例(確か窓自体は上段下降式なのに金具が無かったような記憶あり)もあります。

なお、M'528〜539については、以前に「小学館か頚文社の子供向けの厚い本に写真があり、床下機器配置は通常の非冷房のモハ102と同じだった」という御報告があったと思います。

>おおとりさん(西日本車のドア)
私も昨年の夏に福知山などの近郊型の体質改善車を見た時、やはり東日本式(というか元々は東武の方式)のドア窓になっていたので「おやっ?」とは思っていました。
l03系に波及するとは予測していませんでしたが。

投稿日 6月14日(金)21時17分 投稿者 前納浩一 [ppp0346.vc-tyo.hdd.co.jp] 削除


冷房準備車

みなさん、こんにちは。

Y.aさん、
今となっては実物が残っていないので非常に検証が難しい所ですね。
ただ、鉄道ファンの93年5月号あたりに写真が出ていたと思いますが、M車だったかM’だったかよく覚えてません。
この車両の落成当時は3色混色編成としてよく取り上げられていたはずですので、そのあたりの写真を丹念に探せば床下あたりの情報が得られるかも知れませんね。

床下がだめでも、車両後位側の連結面側窓枠と窓の開閉方向などがわかる写真が出てくるかもしれませんね。
とは言うものの、屋根の骨組みなどの車体面でははっきりと区別する事が難しいかと思います。
まず、MG取り付けスペース等で確認出来る資料を探してみるのが良さそうですね。

それ以前に、例えば冷準車の定義という点も再度洗い直しする必要があるかもしれませんね。
ちなみに永尾の感覚では「何かの理由で冷房装置を取り付ける事が出来なくて、すぐにでも冷房装置を取り付けるだけの状態で落成したもの」を指しており、冷房装置が集中式の場合で有れば、クーラー横のランボードも当初から取り付けているという風に考えています。
たぶん、475系(だったかな?)とか113系・115系などの集中式の冷房準備工事車は全てランボードもついていたはずですし、方向幕が必要な車両については方向幕準備工事もしていた様に思えます。
この点では、103系の非冷房車はあまりにも準備が少ない様に感じます。

とは言うものの、実際の車両をきっちりと検証した事も無かったわけですので、この機会に少し過去の資料などで無いか見てみたいと思います。

P.S. ちなみに永尾が冷準車の最大の特徴として見ていたのは、ランボードがあるのに冷房が載っていないという所でした(^^;;→ユニットタイプのものしか知らなかったもので・・・

では。

投稿日 6月14日(金)16時11分 投稿者 永尾信幸 [p5216-ipad12osakakita.osaka.ocn.ne.jp] 削除


M103-373〜382, M'102-529〜538

みなさま、こんにちは。

>M103-373〜382, M'102-529〜538
は、やはり純の非冷房車として登場した線が濃くなってきたようですね。


ただ、私が気になるのは、JRRが本当に誇張表現したのかな? と思います。

確かに、以前から「電車編成表」には、ケアレスミス的な少々の誤りは見受けられていました。
しかし、当時の国鉄からの情報提供が、単なるケアレスミスとも思えませんし、また、ハッキリと記載されているものを誇張表現だったと、簡単にかたずけても良いものなのか心配です。
(もっとも、国鉄からの情報提供でも、時々怪しいこともありましたが・・。少し前に話題となった Tc103-4 の時のこともありますし・・)

また、冷房準備の蓋の有無だけで冷準車か否かを決めてしまうのも危険かと存じます(とは言っても、この蓋が冷準車の最大の特徴であり、また説得力も付くのですが・・・)。

冷房準備の蓋以外の大きな特徴として挙げますが、113系冷準車のモハ112の床下は、いつでも(簡単に?)160kVAが取り付けられる様に、スペースが予め開けられ、ガラーンとしていました。

M'102-529〜538 は、どうだったのでしょう?


また、冷房準備の蓋が無いにしても、冷房本体が載る部分の屋根の骨組みはどうなっていたのでしょうか?

これらの様な点も、冷房準備車を肯定あるいは否定するにも重要な要素であると思います。


まあ、今となっては、(本当に103系冷準車だった場合)証拠探しが困難なのですが、万が一、雑誌等で新たな情報を見つけましたら、また報告致します。

投稿日 6月14日(金)10時00分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb021.proxy.aol.com] 削除


うむ

こんばんは、書いているうちに、永尾さんが登場してしまいましたね。(笑

>よって、JRR編成表に記載されている冷房準備工事車は、少し誇張表現と思います。
私も同感です。

ところで、永尾さんにお聞きしますが、量産冷房車の図面起こしって、何年何月何日付け
なんでしょうか?

量産冷房車よりも、一次改良車のマイチェンの方が後であれば、ほぼ、永尾さんの推測
どおり、非冷房車のほうが扱いやすいという線が濃くなりますね。
また、下条区、蒲田区の兼ね合い(分割編成の構成)、山手線ATC化の余波を受けるか
どうか、はっきりと当時の京浜東北線はきまっていなかったのやもしれませんが。

投稿日 6月14日(金)02時38分 投稿者 ぬけ [gkfi2045.246.ne.jp] 削除


行先方向幕直下の上段窓について

皆さん、こんばんは

>もし冷房改造準備だとすれば、後位側の客窓が2段上昇しない構造だったのかも知れませんが、車内を見る限り冷房準備と言う
>感じは殆ど判らなかったですね。
一次改良車と同じく普通の2段上昇式でした。

幕部は冷房新製車以外の改造車は、全て上段固定のはずです。
もちろん、例のユニットも一次改良車も。
ああっ、でも3000番台はどうだったかなぁ?
確か、試作冷房車も量産改造された後は上段固定です。

>実際は車両メーカーが生産ラインの見込みで作ってしまってあったのをそのまま買い取って上げたのかも知れません。
>(こういう見込みで作った物は買い取った例は過去にもあります。
この線が一番可能性が高いかなとは、思います。過去にはモハ63
でやはりありましたね。
ただ、このユニットが他の一次改良車と違うとこは、御指摘にある
「車内蛍光灯の側扉上への増設(冷房車と総数同じ)」と「座席の
座布団の改良(冷房車と同じ)」が施されていました。

丁度、新性能電車ハンドブック上の「一次改良車の説明文そのもの」
の様式でした。

先だって、ここの掲示板で、「その説明文は間違いであった」と教授
されましたが。

>M103-373〜382, M'102-529〜538
10ユニットもあったんですか(汗。
すると、やはり見込み製作品か一次改良車の続番で製作したが、番
号が冷房車に若番を採られたかでしょうなぁ。
永尾さんの資料には、一次改良車のマイチェンがS47.8.1付けで
あり、それによると「蛍光灯増設、座席寸法変更」とありますの
で、これが該当しそうです。

当方このユニットに冷改前後に、何度か遭遇して「なんで、常磐モ
ノ(一次改良車)より上等なの?」と一次改良車の真実を知るまで
そう思っていたわけです(笑
特に冷改後は、仲良く3ユニット纏められ、まるで冷房新製車のよう
に?振舞っていたので、3ユニットだけの存在か?と思っていたわけ
です(苦笑。<番号よく見ていない

投稿日 6月14日(金)02時19分 投稿者 ぬけ [gkfi2045.246.ne.jp] 削除


冷房準備工事車

みなさん、こんばんは。

京浜東北線の非冷房ユニットですが、京浜東北線の完全10両編成化名目だと思います。
京浜東北線は昭和46年4月に一応新性能化が完了していますが、101系が入っていたり、8両編成が入っていたりしてました。(下十条9本、浦和1本)
で、昭和48年4月に8両編成を10両編成にするために、この10ユニットが作られました。

で、当時下十条区には貫通8連が9本と3+7の10連が16本の232両が配置されていました。
下十条区の検修庫は8両対応だったので、下十条区に中間のユニットをもってくると貫通10連ができてしまい都合が悪かったので、浦和区と車両交換を行って、下十条区は全編成3+7として、合計23本配置に改められました。

浦和区では、下十条区から転属してきた編成などを組み替えて、新しいユニットを入れ10連を組成しましたが、下十条区の8連をそのまま使った編成は、クハとサハがウグイス色、モハのうち2ユニットがエメラルドグリーン色、1ユニットがスカイブルー色と3色になったようです。

で、この車両が非冷房で落成したのは、浦和区にも下十条区にも蒲田区にも冷房車と名の付くものは1両もおらず、中間車だけ20両冷房車として落成するほうが使いにくかったからと推察されます。

さて、この車両が冷房準備工事を受けているかどうかについて永尾なりに考えてみました。
まず昭和49年の車両投入においても非冷房車を冷房改造するという考えが国鉄に無かった事が下記より伺えます。

「昭和49年の新製は東海道・山陽線の新性能化が77両ほどあったが、山手・京浜東北のATC化の絡みで先頭車は首都圏に配置し、首都圏の先頭車を関西に持っていくことになった。
当時山手線に10連×9本(1本は試作冷房)中央線に10連×7本の16本が配置されていたが、首都圏から関西には11本分の先頭車を転属する必要が生じた。
ここで国鉄が取った方法は、山手線から8本分(試作冷房車はMGが先頭車にあるため除外)、中央線から3本分の冷房付き先頭車を関西に送った。
そのため、ATCの予定がなかった中央線にもATCタイプの先頭車(311〜316)が配置され、中央線で使用していた量産冷房車の先頭車が関西にやってきました。」

つまり、非冷房車を改造するという考えがあるのならば、ATC化本命の山手線に11本分先頭車を投入し、山手線より冷房車8本分、非冷房車3本分を関西に送り、非冷房車の3本分については冷房改造を行えば良いわけです。
結局冷房改造を行うようになったのは、昭和50年に入ってからになります。

これらも含めて考えてみて、当時投入された車両は、単なる非冷房車だったように永尾は感じます。
ですので、将来はもちろん冷房改造について行うことはあるだろうけど、落成時はその準備をするまでも無かったという感じでしょうか?
よって、JRR編成表に記載されている冷房準備工事車は、少し誇張表現と思います。
確かに、冷房車の番台区分ではありますが、状況として不要だったために非冷房にしただけだと思います。

ただ、車内のギ装(船舶用語みたいですけど、電車でもよくつかってますね)は冷房車に準じていたのかどうか気になりますね。
蛍光灯については冷房車と同等という事ですが、方向幕部分の窓配置とかも気になります(^^)
案外、このあたりも冷房車のロットを流用している場合は、同等のサッシをはめているかもしれませんね。

では、また。

あ、またちょっと103系本の不明瞭点が・・・・
サハ103−260と261の冷房改造日ですが、同じ日付で鷹取と吹田と別れています。
この2両はペアで日根野に転属しているはずなので、同じ場所で冷改されていると思うのですが・・・・
今、調査中ですm(__)m

http://club103.banbi.net/

投稿日 6月14日(金)01時38分 投稿者 永尾信幸 [i062084.ap.plala.or.jp] 削除


最近の話題に追随(一部修正)

どうもこんばんわ、いりちゃんです。

すいません Y.aさん・皆さん>
 修正したので場所が入れ替わってしまいました。
 本来はこのカキコはY.Aさんの下に有ったものですが、115-1000の記述を修正したので再投稿・消去を行いましたので順番が入れ替わっています。

冷房車投入後に新製された非冷房車のお話はここの過去にも出ていましたが、それらから抜粋すると、103系には京浜東北線用に新製冷房車投入後にも非冷房車の電動車ユニットが小ロット製作されています。
外観上は、第一次改良車に似ていて、ユニットサッシですが、非冷房、行き先字幕無しです。
 勿論113−1000'の様な冷房準備の蓋も有りませんで、M'の電動発電機も20KVAでした。
 今武蔵野線にAU712で冷改した珍車のうちのどれかが残存していると思います。
もし冷房改造準備だとすれば、後位側の客窓が2段上昇しない構造だったのかも知れませんが、車内を見る限り冷房準備と言う感じは殆ど判らなかったですね。
 この車両は京浜東北線に投入された訳ですが、当時はまだATC決定直前の時期で京浜東北の冷房化がそれほど進むとは思えなかったからなのか?とか考えますが、実際は車両メーカーが生産ラインの見込み
で作ってしまってあったのをそのまま買い取って上げたのかも知れません。(こういう見込みで作った物は買い取った例は過去にもあります。勿論車両需給計画で支障が無い場合でしょうが、最近は民間だからそんな車両業界の都合まで温情を掛けるなんてしないでしょうけどねぇ。勿論国鉄の場合私鉄と違って発注両数が桁違いだからメーカーも先に準備しとかないととても間に合わないから持ちつもたれつだったのでしょうけれど)
 と言う訳で、私は単純内装だけ地下用準拠(蛍光灯増量等)になった、地上用非冷房車だったのでは無いかと思っています。
 (勿論冷房車と共通にできるところは地下用と言えど設計変更されているとは思います。)

 115−1000は下に書かれている方もいらっしゃいますが、113-1000系同様の冷房準備車として登場しています。これはもう当時 「 103系や113系は冷房車が当然で既にに115-300などは冷房車として製作 」 されるご時世になっていながら、投入線区や予算の関係で冷房搭載が見送られたからで、「製作時点で早晩冷房改造を迫られるのは判っているが、兎に角必要分だけ新車を投入しなければならなかったから」故の構造です。
 構造を見てみると、冷房車前提の屋根構造、AU75用取りつけ穴塞ぎ、行き先表示機準備工事、車内配電盤構造に冷房NFB準備等があります。
 また、新製時から160KVAMGを持って新製されていますが、これを冬期の暖房強化に使用されている所が暖かい所を走る113系とは違います。115−1000の場合は在来の高圧2回路の暖房回路の他にMG供給の三相電源に拠る暖房装置を併設していて在来より寒地で活躍する際のサービス強化にも活用しています。
(ですから、115−1000のT車を在来の非冷房115系に繋いだ場合は、在来車同様の暖房能力になります。)
 そういえば、113−1000'の時は冷房準備でも字幕は使っていましたね。103系や113系は殆どの車両が冷房準備なんてする前に冷房搭載で当然の場所で活躍していながら、総武線用113−1000'は準備をあそこまでやっておきながら何故冷房をつけなかったのか?と考えると、当時は東海道や横須賀に冷房車が無いのに(将来は横須賀直通するとしても)千葉にだけ冷房車を入れる訳には行かない (そうでなくてもこの総武線東京地下駅乗り入れプロジェクトは地下施設や快速線増設、特急型投入等で当時の首都圏各線区に比較してサービスしすぎ)と言うのも有ったのかも知れません。なんせまだ当時の東海道・横須賀線はグリーン車も含めて113系は冷房車ゼロで取り敢えず応急的に横須賀線色の車両を借りて取り敢えず冷房車はゼロでは有りませんみたいな感じでしたから。なんせ東京駅で見ていると、基本11両は111系でグリーン車含めて非冷房、東京方の付属113系(横須賀色)だけ冷房搭載で満員なんて言う笑える様な編成までありましたから。実際に東海道様として113系0’の新製冷房車が走りだしたのは、横須賀線に遅れる事2年、高崎・東北線に遅れる事1年の1974年からです。

ブレーキ音の話

私が103系興味としてる一つに一般地上タイプの歯切れの良いブレーキ音があります。ブレーキを緩めた時に発生するブハーと言う排気音は明らかに他形式より音程が低くて反応が早くそして短いですよね。
 基本的に使用部品は同時期に製作される他系列と同じになっているのですが、103系はノズルの絞りが大きく設定されていて込め、排気が早く行える様になっているのだそうです。
 これは首都圏ATC化に伴いブレーキの反応を上げ平均減速度を大きくする(ブレーキを指令してから所定減速度が出る迄の時間を短くする)為に取られた対策なのだそうで、そうなる前はもっと101系に似ていたか?と言うと余り覚えていません(汗。
 209系やE257等一部の系列を除き、国鉄/JRの車両には、聞こえよがしにピューピューと笛のついた耳障りなブレーキ排気音を出す(209等は音量的にはマシな方)系列が少なく気に入っているのですが、ブレーキの音に限らず、車掌スイッチを扱った際の「応荷重装置の動作音」や「締切電磁弁の排気音」、そして「ブレーキ排気音」等103系は歯切れの良いピシっとした音が多くてこれが都会の中をキビキビと行くイメージに重なり、写真等だけでは判らない実車を見た者への隠し味になっていると思います。 

投稿日 6月14日(金)01時09分 投稿者 いりちゃん [zz2001120047002.userreverse.dion.ne.jp] 削除


行先方向幕直下の上段窓

いりちゃん様、皆様、こんばんは。

>もし冷房改造準備だとすれば、後位側の客窓が2段上昇しない構造だったのかも知れませんが・・・

このコメントがヒントとなり、以下のことを思いつきました。

通常、初期の非ユニット窓車が冷房改造された場合、設置された行先方向幕の直下の上段窓は固定されて開けることは出来ません。

しかし、第一次改良車が冷房改造された場合は、この上段窓はどうだったのでしょうか?
やはり、固定式だったのかな? (今度、確認してみます。)

もし、固定式だったとすれば、今、果たして本当に冷準車だったかどうか議論されている M103-373〜382, M'102-529〜538 の方は、どうなっているのか気になります。
(固定されているのか、もしくは、新製冷房車と同様に下方へ開くのか?)

以上の点を確認することは、今からでも可能なので、時間を見つけて実車を観察したいと思います。

投稿日 6月14日(金)00時42分 投稿者 Y.a [spider-tok-ta044.proxy.aol.com] 削除


115-1000冷準車は

こんばんは、Y.aさん

115-1000の冷準車は、ヒーターを低圧化(冷房電源より供給)するために、
160KVAMGを搭載しました。
また、113-1000冷準車の教訓より、冷房搭載時の手戻り工事を減らす意味
合いもあったと記憶しております。
身延線用の115-2000、2600もたしか160KVAMGを搭載していたと思います。
そういえば、モハ72-970やモハ62の20KVAMGの出何処は、113-1000冷準車
なのかな?

おおとりさんへ
113-1000、115-1000・2000・2600の冷準車は、いずれもダクトはありません。
で、目撃された元115冷準車は、冷房搭載時の工事量を減らすために、ダクト
無しでクーラーから強風?で循環させるという荒業仕様になっています。

続冷準車の定義と妄想
103系の例の3ユニットは、どういった経緯で出てきたのか知りませんが、
外観は1次改良車そのもの(行先方向幕の準備すらない)で、車内が冷房
車に準拠した設備を持っていました。
もちろんダクトはありませんし、無塗装化は進んでおりませんが、103-
1200の最終増備車に近い仕様でした。
確かに、おおとりさんが言うように、鋼体レベルでの補強等は行われて
いたかもしれませんが、113や115の冷準車に比べると1歩も2歩も劣って
いるのは否めません。
また、上記103-1200との絡みで考えると「非冷房」とした方がすっきり
する気がいたします。

あら、この車体って、もしかして103-1200の10連化(9連?)に関係し
ていたのか?

投稿日 6月13日(木)01時35分 投稿者 ぬけ [gkfi1147.246.ne.jp] 削除


あれ?

あ、でも115系とかって冷房準備車は風道までは無かった様な。

長野の115系で、AU75付でダクト無しの編成があったとか。
冷房直下の強風は凄まじいものがあったと目撃談を聞いた記憶が・・・。
珍しいロングシートの編成だったそうですが。

投稿日 6月13日(木)00時33分 投稿者 おおとり [fart01-117.cityfujisawa.ne.jp] 削除


冷房準備車の定義

何をもって冷房準備車とするか、にもよると思いますが、
もしかするとJRR側の誤り若しくは早とちりでは無いでしょうか。
或いは当時、「新製冷房車と同等の車体」という事で
国鉄部内でそういう扱いがあったのかも知れませんが・・・。
配線類も新製冷房車のそれに習った変更が
されているかも知れない訳で・・・。
ただ、冷房準備を謳う車なら、屋根にそれ用の穴を開け、
なおかつ風道も取り付けた状態で
落成してくると思うのですが、如何でしょう?

投稿日 6月13日(木)00時28分 投稿者 おおとり [fart01-117.cityfujisawa.ne.jp] 削除


Re:冷房準備・ドアー窓

おおとり さま、みなさま こんばんは。

>103系には冷房準備車として新製された車はありませんよ〜。

JRR刊の国鉄電車編成表の80年版か81編版か、もしくは83年版かに、確かに冷房準備車との記載が間違いなくあります。

一度、ご覧になって下さい。

たしかに私が確認したときは、115系みたいなAU75準備フタは付いていませんでしたが・・・。

投稿日 6月12日(水)23時53分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb012.proxy.aol.com] 削除


冷房準備・ドアー窓

> Y.aさん
103系には冷房準備車として新製された車はありませんよ〜。
冷房車登場後に小数製作された非冷房車ユニットは
純粋な非冷房車として登場していますので、
MGは20KVAだったそうです。
(只、車体そのものは冷房車同等だった筈で、
車体補強云々の準備はあったかも知れないですね)

しかし、103系に115系みたいなAU75準備フタがついていたら、
それはそれで面白かった事でしょう。
で、それが分散クーラ載っけてたりして。

>前納さん
西日本は381系のドア窓で東日本更新車と同じ外観の
ガラス押さえを採用していますが、それが103系にも波及した訳ですね。
Nゲージでこの差を表現するには・・・塗料を変えるしか無いか(笑)。

投稿日 6月12日(水)23時22分 投稿者 おおとり [fart01-117.cityfujisawa.ne.jp] 削除


宮原・網干所の103系も応援に

みなさん こんばんは

ぴろぴろさんも書き込まれてますが他にも103系が応援に来ています。宮原所からはT2・T5編成のサハを抜いた6連、網干所から和田岬線用のR1編成が走っています。宮原車は上りが「天王寺」下りは「普通」と表示して運転されていました。久々に白字幕による「天王寺」を見ることができ、T5編成は阪和線への里帰りとなりました。他に103系8連貫通編成で運転されるA81運用に223系が代走していました。J402編成が6連になっていたので8連のうち1本が6連に組み換えられた模様です。(車番確認できませんでした)他に205系も夕方に8連で快速運用されるなど大幅な運用変更が行われているようです。

投稿日 6月12日(水)22時56分 投稿者 けのゆきお [nttoska018245.flets.ppp.infoweb.ne.jp] 削除


USJシャトル 阪和線へ

本日は長居スタジアムでワールドカップの試合が開催された為、沿線の阪和線も増発が行われました。他線区からの応援では夕方にUSJシャトル編成(Tc799〜6連、Tc833〜6連)2本と奈良区のTc184〜6連の計3本を確認しましたが、奈良区の編成は先週の日曜にも回送で阪和線上を走行しているのを見かけましたので、ワールドカップ絡みで阪和線に入線しているのではないかも知れません。

それにしてもUSJシャトル編成を持ってくるとは・・。
商魂むき出しですね、JR西日本って・・。(^^

投稿日 6月12日(水)22時06分 投稿者 ぴろぴろ [k162074.ppp.dion.ne.jp] 削除


103系冷房準備車のMG

みなさま、こんばんは。

冷房準備車についてですが、113系・115系に多く存在していたのはご存知の通りです。
そのほか急行型電車の一部やクハ411−335、また103系にもMM’の10ユニット(M103-373〜382, M'102-529〜538)が冷準車として登場しています。

ここで不思議なのは、
113系冷準車の場合、MGは 20kVA だったのですが、
115系冷準車の場合、MGは何故か新製時から 160kVA が装備されていました。
つまり、編成中、Tcの1両のみが冷房車でも、MM'車が冷準車ならクーラーは効いていました。

例えば、以前、高崎線で、

←高崎 (非冷房4両) + Tc-1130冷 + M-1004冷準 + M'-1008冷準 + TMM'Tc(非冷) 上野→

の組成で運用に就いているのを見たことがありますが、11両中 Tc-1130 のみが、ガンガンにクーラーを効かせていました。


さて、余談が長くなりましたが、ここで質問です。

冷準車として登場したモハ102のMGは、何kVA だったのでしょうか?
(おそらく、20kVAだとは思いますが・・・)
ご存知の方、御提示お願いします。

投稿日 6月12日(水)17時08分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb042.proxy.aol.com] 削除


T765 ?

みなさま、こんばんは。

新大阪から博多方面行き新幹線に乗り、車内から下を眺めると、宮原総合運転所(大ミハ)が見えます。

その中に、サハ103が1両ポツンと留置されています。

おそらく、サハ103−765 であると思われます。

投稿日 6月12日(水)00時05分 投稿者 Y.a [spider-tok-tb022.proxy.aol.com] 削除


無題

前回の書き込みに対し情報を頂き有り難うございます。またその後で展開された103系の廃車や国鉄の民営化、経営面から見た車両運用などの論議も拝見しました。個別のレスは膨大になるのでしませんが、大変興味深かったです。

JREでも民営化時に車齢20年程度に達した昭和40年代前半の車両は大掛かりな工事を受けたので35年以上経った今も活躍を続ける車両がいるのに対し、現在車齢が20年程度に達した車両は何もせずそのまま廃車というパターンになってきているように思えます。

以前紹介したこちら(http://www.d2.dion.ne.jp/~ueno_k/jr-kouzyou.htm)のHPには最近出場したクハ103−630の試運転の模様が出ていますが、製造年は昭和43年頃だと思われます。

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妄想に近いので読み流して頂くだけで結構ですが、JR西日本は数年後に廃車が始まると予想されるJR東日本京浜東北線の209系狭幅車を入線させるのではないかと思うのですが如何なものでしょうか..?JR東日本は何故最初から209系を広幅で建造しなかったのか理由は知らないですが、幅が広いと定員を1車両につき8名増やすことが出来るので、狭幅車はラッシュの混雑が依然酷い都心縦貫線では絶対とは言えないですが好ましくないと思います。205系はまだ新しいのに山手線にE231系を導入するのも特に上野〜秋葉原〜東京間での混雑が激しいのでその緩和を狙ったものだとも聞きます。

一方JR西日本ですが、103系は関西に限ってもスーパー改造車はともかく、各種の更新対象から外れ戸袋窓を塞いだ程度の高齢の車両が多く(特にクハ)、外板を見ても波打った車両が目立ち塗装も色あせ、自社線や他社線の新車や更新車と比べると至らない点もあり、そろそろ退いても良いのではと思います。この他ローカル線用の105系の中には103系からの転用車もいます。ですのでスーパー改造車のみを残し、昭和50年頃以前に建造された車両は淘汰して、その穴埋めとして京浜東北線の209系を転用してみてはと思います。京浜東北線の209系は一部の幅広車を差し引いても700両余りいますが、この数字でもJR西日本に在籍する103系及び103系改造の105系の総数の9割近い数になります。また今後JR西日本では加古川線や小浜線が電化されますし、長浜・永原〜敦賀が直流化されるので直流電車が必要となります。ただ北陸本線の整備新幹線開通後の処遇は知らないですが・・。

去年辺りから西日本の一部のクハの窓枠や表示枠が金属製のものに交換されていますが、 相当高齢のクハでさえこの工事を受けているので、209系転入までの応急処置ではないかと思います。京浜東北線の209系導入は平成5年から10年頃まででしたので、平成18年から23年までの間に引退することが考えられます。またJR東日本で若い103系が容赦なく廃車になっているのに、それを転用しないのもその辺りに理由があるのではと思っています。

以上ですが、仮にこれが現実化すると他社の中古車が走ることになりますが、車齢13年程度では充分奇麗なので、好評を得られるのではないかと勝手に考えています。残留する103系スーパー改造車は特急形や急行形の廃車発生品の空気バネ台車を転用すれば乗り心地が改善されるので、それもどうかと思っています...。

投稿日 6月10日(月)22時03分 投稿者 Y.K. [m108028.ppp.dion.ne.jp] 削除


体質改善車ほか

みなさん、こんばんは。
ここのところ忙しく、首都圏のl03系をゆっくり見る暇さえ無いのですが、仕事絡みの外せない用事で大阪に行ったので、西日本のl03系を少し見て来ました。

・平成13年度の体質改善車
JRRの編成表のデータでも判りますが、14輌が下半期に体質改善工事を受けています。(6連2本分とTc'804、T486。上半期は無し)
この14輌ですが、ドア窓の支持方法が変更されており、JR東日本の車両更新車等と同じ方式になっています。(14輌共確認)
ですので外観上はドアの窓枠が細くなっています。
日根野から森ノ宮に転属となった6輌は、最初に体質改善(アコモ改良)工事を受けたサハ2輌を挟んで使用されていますので、このサハと隣のモハでドア窓の状況を比較すると良く判ります。
また、車輌全体を見ると「西日本の体質改善車」なのに、ドア窓だけ注目すると「東日本の車両更新車」に見えるので変な感じです。
なお、Tc'804は、乗務員室の仕切りの中央の窓が塞がれていましたが、Tc837、846は残っていました。乗務員室内の機器配置状況等は確認できませんでしたので、理由はちょっと判りません。
それ以前の体質改善車のドア窓ですが、奈良区の726-882、728-884のユニットとTc'836、森ノ宮区に転入した659-8l5、660-8l6のユニットは、従前タイプの太いドア窓枠でした。

・日曜朝夜の宮原区車
JRRの普通列車編成両数表は、土曜休日の運用が書いてないのが残念です。6/9の朝夜に見掛けた宮原区車充当の列車を書いておきます。
5本ある緩行線の尼崎折返電車のうち、6:26〜6:45に折り返す2本目がl03系(166運行)で、他の4本は20l系等でした。
JR宝塚線の上りですが、新三田発朝1番の高槻行560Mは201系でした。それ以降、新三田6:01発の562M(164運行?)、7:06発の1112B(167運行)、7:35発の1116B(165運行)がl03系だった他、尼崎7:07頃に上り方面の回送(163運行)がありました。(尼崎で見掛けた為、この回送の運転区間等は不明)
大阪発21時以降の新三田行きでは、1233B(162運行)、1237B(167運行)、1239B(163運行)の3本がl03系でした。
なお、以前masaさんが書き込んで下さった通り、T765の位置にはT’l0が入っていました。

・ブレーキ談義
私は3000台の緩め音が結構好きです。

投稿日 6月10日(月)21時48分 投稿者 前納浩一 [ppp0318.vc-tyo.hdd.co.jp] 削除


ブレーキ談義などはいかがでしょうか

ブレーキの吐出音、301系も含めると4種類に大別されるように感じておりますが、101系からの編入車を除き、いずれも独特な音と言っていいと思います。遠縁の105系も103系と同じ音がするのに119系は違っているなど、設計時の機種選定基準がどうなっていたのか興味がつきません。個人的には301系の音が気に入っておりますが、皆様はいかがでしょうか?
本件に精通しておいでの方、その情報の一部で結構です。是非ご披露ください。
皆様の主観的なお話しもお聞きしてみたいです。よろしくお願い致します。

投稿日 6月5日(水)00時42分 投稿者 WKE150 [tbtnni-04p382.ppp12.odn.ad.jp] 削除


京葉線

京葉線103系の分割可能編成(201系転属前)の編成をご存知の方教えて下さい。お願いします。

投稿日 6月4日(火)16時13分 投稿者 横着者 [fla1aaa338.kng.mesh.ad.jp] 削除


103系 製造予算毎 車両番号表を公開

みなさん、こんばんは。

表記の資料、2週間ほどまえから少しずつ作っていて、ようやく公開にこぎつけました。
エクセルで作表し、ウェブ形式で保存したものと、そのままPDFファイルにしたものの2つを用意しました。
まだ校正レスの段階ですが(^^;;

さすがに多かったです。

場所は「103系の仕様」の中です。
では。

http://club103.banbi.net/

投稿日 6月4日(火)00時29分 投稿者 永尾信幸 [cwa030118.bai.ne.jp] 削除


北ハエ「23編成」 ですか??

前納様、みなさま、こんばんは。

>捻出l03系編成を名義上川越区に転属させた上で池袋区に貸出して内回りの一時増発&運用増に充てるためでした。(埼京線新宿開業時にこの処置は解消され、貸出車は川越区に戻されて新宿延長に伴う運用増に充当され・・・

たしか、北ハエの23編成でしたね(違っていましたら、すみません)。
この23編成は、「北ハエ」の標記のまま、山手線を走行していたと記憶しています。
さらに、同編成は、S61.3.2 には埼京線で運用されていたのを確認しています。しかも、全ての行先方向幕(前面、側面ともに)が、真っ白のままでした。
(しかし、JRの書籍には、S61.3.3 転属となっているようですが・・・)

投稿日 6月4日(火)00時01分 投稿者 Y.a [spider-tok-ta023.proxy.aol.com] 削除


はじめまして

はじめまして、横着者です。よろしくお願いします。                                                  京葉線103系の分割可能編成の編成をご存知の方、教えてください。お願いします。   

投稿日 6月2日(日)21時50分 投稿者 横着者 [fla1aai161.kng.mesh.ad.jp] 削除


103系本の訂正

みなさん、こんばんは。

103系の製造予算毎車両番号表を作成しているのですが、またまた本の修正があります。
P84の103系1000番台・1200番台の製造予算一覧表のメーカ(これもメーカーが正しい)欄、川車の所はすべて川重が正しいです。
川重は昭和44年4月1日に、川崎重工と川崎車両などが合併して車両関係の生産を始めているようです。
1000番台の生産は45年10月以降です。
正誤表に追加しておきますが、たびたびの訂正、お詫びいたしますm(__)m

投稿日 6月2日(日)00時42分 投稿者 永尾信幸 [cwa030118.bai.ne.jp] 削除


過去の掲示板ログ公開

みなさん、こんにちは。

前納さんの書かれた掲示板のログを公開しました。
下記ページの中の「103系資料館」に付け加えています。

取り急ぎ・・・

http://club103.banbi.net/

投稿日 6月1日(土)11時02分 投稿者 永尾信幸 [p5175-ipad01osakakita.osaka.ocn.ne.jp] 削除


205系21・22編成

Y.aさん、みなさん、こんばんは。
下十条→鳳の転属などのl03系の件はまた後で…。

>205系21・22編成
205系の内、1〜4編成が60−3改正用、5〜20が埼京線開業・川越線電化用、21・22が埼京線新宿延長用、23〜29が京葉線(西船橋−千葉みなと)開業用、30・31が武蔵野線増発(61−3改正)&南武線l0l系置換用、32〜34が総武線l0l系置換用です。
21・22は、23編成以降よりも先に新造の計画が行なわれ、必要な時期に合わせて落成しています。
23編成以降は、京葉線へのl03系転用改造や、試験&訓練運転の期間が必要なため、22編成よりも先に落成が始まっています。

で、先の書きこみの訂正ですが、上記2編成の新造に関する当時の雑誌のデータも、一部違っているようです。
21編成については、昭和60年9月27日と昭和61年2月13日の2回、新造のデータが出ています。実車は昭和60年9月27日に落成し、埼京線開業と時期を同じくして山手線で運用開始となっています。
これは、埼京線開業に伴い、山手線の内回りの混雑悪化が予想されたため、新宿開業(61−3改正)用の21編成を前倒しして新製し、捻出l03系編成を名義上川越区に転属させた上で池袋区に貸出して内回りの一時増発&運用増に充てるためでした。(埼京線新宿開業時にこの処置は解消され、貸出車は川越区に戻されて新宿延長に伴う運用増に充当され、内回りの本数は60−9以前の本数に減便されました。)
ですので、21編成の新製月日は、昭和60年9月27日が妥当なのです。(この件は以前、永尾さんの背景が緑色だった掲示板でも話題になりましたね。)

一方、22編成ですが、新宿延長に伴う埼京線の運用増を補う分ですので、落成はダイヤ改正前後で間に合います。当時の雑誌およびJRRの履歴表では、昭和61年2月25日新製となっています。
しかしながら、昭和61年2月12日には、同編成が山手線で運用されているのを確認しています。22編成の新製日が、なぜ実際の運行開始日よりも後になってしまっているのかは謎です。

投稿日 6月1日(土)03時57分 投稿者 前納浩一 [ppp0155.vc-tyo.hdd.co.jp] 削除